大阪のお笑いと言えばこの人!笑いの神様の生き様を知りたい人へ!【天下一の軽口男】

こんにちは、ぴよこよ。
今回はひさしぶりに書評ブログよ。

 

今回選んだのは、”なにわなんでも大阪検定”で毎年出される課題図書。
「大阪ほんま本大賞」を受賞した作品。
言わずもがな、大阪が舞台、それも大阪の笑いの祖が主人公よ。

  • 大坂の笑いのルーツって?
  • とことんまで突き詰めたい何かを持っている

 

そんな人に刺さるのが今回の「天下一の軽口男」
とことん笑いを突き詰め、大阪の笑いのルーツを作った男・米沢彦八のお話よ。

 

 

∴天下一の軽口男

 

米沢彦八 天下一の軽口男

 

著:木下 昌輝

 

「天下一の軽口男」は上方落語の祖・米沢彦八の生涯を描いた物語。
2019年の「大阪ほんま本大賞」を受賞した作品よ。
”なにわなんでも大阪検定”の問題として課題図書にもなったの。

 

大阪検定についてはこちらを読んでくださいな。

 

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ちなみに、「大阪ほんま本大賞」とは、大阪の書店や問屋さんが選んだ"ほんまに読んで欲しい1冊"のこと。
”Osaka Book One Project”というプロシェクトが主催しているわ。


大賞を受賞した本で得られた利益の一部は、社会福祉施設を通して大阪の子どもたちに寄贈するというプロシェクトよ。
以前紹介した"すかたん"も第3回目の大賞作品なの。


「天下一の軽口男」は第7回目の受賞作品よ。

 

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笑いの神様・米沢彦八

 

米沢彦八 天下一の軽口男

 

米沢彦八に関する史料って、実はあまり残っていないみたい。
それでも分かっていることはいくつかあるわ。

 

  • 上方落語の基礎を築いた
  • 難波村の出身
  • 大名の物真似で大ウケ
  • 名古屋興行の直前に亡くなった

 

米沢彦八は主に大阪の生玉神社(いくたまじんじゃ)で芸を披露して、聴衆を楽しませていたわ。
調べるまで知らなかったのだけれど、実は生玉って通称なの!
正式名称は”生國玉神社”と書いて、”いくくにたまじんじゃ”と読むわ。

 

彦八はこの生玉神社で”笑い”を大衆文化にし、大阪に笑いの文化を根差していったわ。

 

 

笑いを極めた男を突き動かしたもの

 

米沢彦八 天下一の軽口男

 

物語の主人公・彦八は小さいころからぼんくらだけれど、人を笑わせることが大好きな少年だった。
彦八には夢があって、それは”人を笑わせてお金をもらう”ということ。
物語の中で、彦八は自分の夢を叶える3つのきっかけと出会うの。
 
  1. お伽衆という存在
  2. 安楽庵策伝和尚
  3. 幼馴染・里乃
 
1つ目はお伽衆(おとぎしゅう)という職業。
将軍や大名お抱えの笑話を披露する仕事で、豊臣秀吉もたくさんのお伽衆を抱えていたと言われているわ。
 
2つ目は、天下一のお伽衆と呼ばれた、安楽庵策伝(あんらくあんさくでん)という和尚さん。
安楽庵策伝和尚は、日本で初めての笑話集である醒睡笑(せいすいしょう)という本を書いた人。
”天下一のお伽衆”と呼ばれておきながら、策伝和尚は誰にも仕えなかったそう。
 
そして3つ目は幼馴染である里乃(さとの)という女の子の存在。
彦八は生涯を通して、「里乃を笑かせたい!」という想いを抱き続けるわ。

 

 

笑いは裕福層だけのものだった

 

米沢彦八 天下一の軽口男

 

今では芸人さんや落語家さんなど、笑いを職業にしている人はたくさんいるけれど、当時はそんなことをしている人はいなかった。
それも当然で、”笑い”は裕福層の娯楽として、大尽や大名が独占していたの。

 

成長した彦八は江戸へ出て、お伽衆を目指すようになる。
だけど大名や将軍が力を失ってきていた時代だから、お伽衆になっても稼ぎはたかがしれている。
代わりに当時は辻咄(つじばなし)と言って、町の辻に立って笑話を披露する職業が盛んだった。

 

だけど、辻咄では生活ができない。
じゃあどうするのか。
辻咄をする人たちは辻で笑話を披露することによって、大尽や大名の目に留まるのを待っていたの。

 

当時裕福な人たちの間では、自分たちの宴会を盛り上げるため、辻咄を座敷に呼ぶことが流行していたの。
だから辻咄は座敷に呼ばれることを目指し、大尽や大名に好まれる話をするようになる。

 

辻咄は座敷に呼ばれることを目指し、話芸を磨くようになる。
座敷に呼ばれれば呼ばれ続けるため、話の仕方に身振り手振りを加えたり、三味線などのお囃子を加えたりする。

 

これが江戸落語の原点と言われていて、その祖は鹿野武左衛門
彦八と同じ難波村の出身よ。

 

こういった経緯があって、笑いは大衆とは縁遠く、大尽や大名のものとなっていたのね。

 

 

笑いを大衆文化へと昇華

 

米沢彦八 天下一の軽口男

 

だけど、大尽や大名が独占していた笑いを大衆のものにしたのが米沢彦八。
江戸で修業をしていたのだけれど、紆余曲折があって大坂へ戻った彦八は、生玉神社での興行に出会う。

 

そこでは笑話の他にも人形浄瑠璃、舞台など、様々な芸が披露されている。
貧富の差も、身分の差も、男女や年齢の差もなく、全員が同じものを見て同じように笑うことができる舞台。
彦八はこの生玉神社で自分が本当に望んでいた”笑い”を見つけるの。

 

そしてこの舞台で彦八は新たな芸を身に付ける。
それは、大名やお偉いさんのモノマネをした”俄大名(にわかだいみょう)”
世の中は武士が支配していたのだから、当時としてはありえない芸だったのよ。

 

けれど金箔の箔押し、華美な服装、商人の辻行商が禁じられていて、町も静まり返っていた。
役人や武士が支配する世の中に不満を抱いていた人も多かったはず。
そのせいか、彦八の俄大名は大流行するようになったの。

 

こうして、大名のモノマネと話芸を組み合わせた大衆向けの笑話が完成。
これが上方落語の原型になったのね。

 

 

心にグッとくる「天下一の軽口男」

 

米沢彦八 天下一の軽口男

 

ではここで、「天下一の軽口男」の作中で印象に残った場面・セリフを紹介するわ。
どのシーン、どの場面も捨てがたいのだけれど、厳選して4つを紹介するわね。

・「わしはな、人で笑いを救いたいんや」(p.32)

 

これは初代・安楽庵策伝が弟子である虎丸に向かって言った言葉。

 

いつの時代でも、生きていれば悲しいこと・苦しいこと・辛いことがある。
そんな中でも笑うことによって人々の顔に笑顔が宿る。
笑っていれば、一時だけでもその苦しさから解放される。
そうして人々を救いたい。

 

仏門に入った策伝和尚が笑話集を書き、天下一のお伽衆と言われながら、誰にも仕えなかった理由。
それは広くすべての人を平等に救いたい、という強い思いがあったから。

この思いは二代目・安楽庵策伝となる虎丸へと引き継がれ、そして彦八に引き継がれていくことになるわ。

 

 

・「わしがいっているのは、ちっぽけな将軍や大名、武士を笑わせるようなお伽衆ではないぞ。まことの天下人のためお伽衆となり、わが師が叶えられなかった悲願を成しとげてくれ」(p.138)

 

初代・安楽庵策伝から二代目・安楽庵策伝、そして彦八へと思いが受け継がれる瞬間。
この時の彦八はほんの少年だったのだけれど、二代目・安楽庵策伝は彦八が大事を成しとげる器だと見抜いていたのね。

 

二代目・安楽庵策伝こと田島藤五郎は、この後お家を守るために武士に戻っているの。
自分では成しとげられなかった師匠の夢を、彦八に託していったのね。

 

 

・―里乃を笑かすんや。(p.211)

 

小さな少年だった彦八は、昔から人を笑わせることが大好き。
特に幼馴染の里乃を笑わせることに全力を注いでいた。

 

それは大人になっても変わらず、どこにいようとも常に里乃を笑わせることを考えていた。

 

民百姓を笑わせたいという気持ちはもちろん誰よりも強かったと思う。
だからこそ、大尽や大名が独占している笑いを、大衆に広めたいと思ったのだと思う。
だけど、「人を笑わせたい」という想いの根底には、里乃がいつも彦八の中にいたのよね。

 

作中で「顔は悪いのに女癖も悪い」と書かれているけれど、意外と一途で思わずきゅんとしてしまったわ(笑)

 

 

・往来の笑いは彦八の将来を言祝ぐかのように大きく膨らんでいく。(p.230)

・彦八の決意を言祝ぐかのように、左右の客席から喝采が湧きおこった。(p.306)

 

この2つの文章は似ているけれども、全然違う彦八の状況を表しているの。

 

1文目は、江戸で鹿野武左衛門と一緒に座敷での笑話を成功させた後。
一人立ちして辻に立ち、座敷に呼ばれることを目指す彦八が踏み出した一歩。
それを祝福する笑いなのだけれど、注目するべきは、その笑いはまだ彦八が取った笑いではないということ。
あちこちで笑いが起きている辻に立ち、「自分もここでやるんや!」と決意しているシーン。

 

一方2文目は、江戸を去り、笑話からも離れていた彦八が、自分が本当に求めていた舞台を見つけた時。
両隣では各舞台で芸を披露している芸人さんがいる。
このシーンで起きている笑いは、その芸人さんたちが起こしている笑い。
その笑いを見て、自分がいるべき場所は江戸の座敷ではなくこの大坂だったのだと気づくシーン。

 

どちらも似ているけれど、どちらもまだ彦八の取った笑いではない
江戸でのシーンだと、膨らんでいく笑いに対して、彦八の気持ちも膨らんでいくようなイメージ。

 

対して大坂でのシーンだと、江戸で散々な苦労にあったけれども、それさえも乗り越えてもう一度笑いと向き合おうとしている。
その決意と情熱が爆発したような喝采が湧きおこっている。

 

笑いに愛された男・彦八ならではの表現よね。

 

 

彦八は笑いの文化を大阪に根差した恩人!

 

米沢彦八 天下一の軽口男

 

生玉神社では毎年、”彦八まつり”というまつりが行われているわ。
上方落語が大阪にとって親しみやすい文化として根差していくため、彦八の名を後世に伝えるため上方落語協会が主催しているの。

 

実際に落語家さん達も参加して行われるおまつりよ。
毎年8月末~9月頭にある土日で行われているわ。
詳細はこちら↓をみて下さいな。

 

kamigatarakugo.jp

 

おまつりの存在自体は知っていたけれど、彦八がどういう人か全く知らなかった。
大坂にお笑いという独自の文化を根差してくれた、大阪人にとっては大恩人!

 

お笑いに対しての情熱、里乃への一途な思い。
読んで熱くなったし、「自分もここまで打ち込める何かを見つけたい!」と思ったわ。
これが数少ない史料をもとに思い起こした物語なのだから、すごいわよね!

 

本書で学んだのは、一つのことを突き進んでいくことの大切さ。
そして誰にも負けない情熱を持つ重要性。
私も彦八を見習ってもっと大阪の魅力を発信していくわ!

 

今年はお礼の意味も込めて、彦八まつりに行ってみようかしら。
普段から落語に親しんでいる人も、いつもとは違う落語家さんの一面が見れるかもしれないわよ!

 

 

ここまで読んでくださってありがとう。
それではごきげんよう。